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幕藩体制が揺らぐ江戸時代中期になると

幕藩体制が揺らぐ江戸時代中期になると、百姓・町人統制を強化する藩も多くなった。こうした中で穢多に対して徹底的な法規制を行うこともあったが、これは百姓・町人との分断をすることによって百姓・町人の不満を逸らす目的だとみられている。例えば、岡山藩では穢多は皮で作った名札を胸に付けることなどが義務付けられた。しかし、これに対して岡山藩全域の穢多が反発し「渋染一揆」が発生している。神道思想においても平田篤胤「能く思へば夫も即神の御心で、かの旃陀羅を御悪ひ遊ばす」(『神敵二宗論』)として、「旃陀羅」すなわち穢多を排撃している。一方で、加賀藩の侍講の千秋藤篤のように人権を尊重して部落解放を主張した例などもわずかにある。

関東では全ての穢多は矢野弾左衛門の管理下に入っていた。穢多頭の弾左衛門は徳川家康により穢多を統制する権利を与えられており、金貸しもしていた。強大な財力を持ち、刀を差して旗本並の屋敷で生活をしていた。13代当主は幕末から明治にかけて穢多を代表し、穢多身分者に対する利益誘導を精力的に行った。佐幕派に対する資金援助も弾左衛門の活動として知られるものである。弾左衛門はこの功績が幕府に認められ、幕府瓦解直前の1868年(慶応4年)1月、配下の65名とともに、身分を引き上げられ、弾内記(後、弾直樹)と名を改めた。
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江戸時代の身分制度を表現する言葉として近年に「士農工商穢多非人」という言葉が使われるようになったが、最近の研究では、儒者が儒学のイデオロギーではそうなると主張しただけで、この並びにも徳川時代のありよう(徳川政権が封建主義国家、各大名の領地はそれぞれが一応は独立国)から、雑多な身分を理解するうえでは正確ではない。

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2009年09月26日 13:39に投稿されたエントリーのページです。

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